アルニコ日記 〜さよなら、お酒。ついでに煙草も。〜

これは酒と煙草を絶ち切らざるを得なくなった、哀しくも可笑しいアラフィフ男の日記である。

アルコール依存症による入院生活 その1

アルコール依存症による入院生活に入り、

それが原因では無いと思いますが、

ブログの更新もすっかり滞っており、

いやでもしかし入院生活は結構忙しいです。


朝は6:00起床ですが毎晩22:00就寝の為

毎朝5:00には目が覚めます。

(4:00起きも珍しくない。)


7:00の朝食まではやる事もなく、

皆で世間話といく訳ですが、

酒歴自慢や入院歴の自慢、

処方されている薬の話や新入り患者の感想、

世間の皆様には毒にも薬にもならない話で

暇をお互い潰します。

それが結構忙しい。

院内コミュニケーションというヤツです。


7:00の朝食を迎えた後は食後の一服。

これがまた美味い!

入院当初の1週間は閉鎖エリアで過ごす為、

全く煙草は吸えませんでしたが、

(禁煙による離脱症状出まくりでした。)

病院敷地内全面禁煙にもかかわらず、

1日5本は吸ってます。

(禁煙は中々出来ずに節煙中。)

敷地内禁煙でも喫煙出来ているのは

総じて本音と建て前の世界がここにも、

ってとこでしょうか。


検査等が無ければ午前中は散歩や買物。

基本的に皆それぞれ自由に過ごします。

買物に出たら兎に角甘い物を買いまくり。

チョコレート類は勿論の事、

これまで縁の無かった和菓子が食べたい!

特に餡子類!

個人的なお気に入りはドラ焼きですね。

(ドラ◯もんか!)


そして12:00になれば昼食。

ここの食事は病院食とは思えぬ程美味い!

御飯を増量して貰っている患者さん多数。

(かく言う私もその一人ですが。)

アルコール依存症の患者が酒を断つと、

連続飲酒中等に抑えていた食への欲求が

フラッシュバックのごとく現れ、

ドカ食いをして体重増加に向かう様です。


平日午後は回復プログラム。

曜日によって料理教室やトレーニング、

酒害のテキストによるお勉強など。

それが済めば女性男性の順でお風呂。

結構広い湯船に浸かり、極楽極楽。


18:00に夕食をとれば後は長い夜。

デイルームでテレビを観たり、

読書をしたり、将棋を指したりと

皆眠れぬ夜に備えます。


酒さえ呑まねばおとなしいアル中患者達。

今夜も眠剤や眠前薬を飲んで良い夢を。


入院しました 2

採血そして腹部エコーに腹部CT。

検査を受けたら閉鎖エリアの面会室へ。

煙草、スマホスマホの充電器を預けます

が、ハッキリ言って検査が甘い!

幾らでも持ち込めるぞ、煙草にライター。

まぁ、ええ大人なので止めときましたが。


その後テレビも電灯も無いベッドへと。

結構収納力が有りそうなロッカーに

90日分の着替や荷物を入れて昼食。


一般開放エリアの食堂には、

先に入院している患者さん達が15人程。

皆さんパッと見は病人には見えません。

メニューは煮魚と野菜の煮付け、

それに白飯と味噌汁。

「あ〜病院食やぁ」

と観念しながら箸を付けたが以外と美味い!

後で聞いた話ですが、ここの野菜は手作り。

近くの農家からの産地直送だそうです。


昼食後はひたすら暇。

閉鎖エリアの案内を聞きましたが、

ものの5分程で一回り出来るし、

夕食済ましデイルームでテレビ見て、

(夕食も美味かった!)

眠前薬に安定剤飲んで就寝。

煙草の離脱症状のお陰で不眠ですが

睡眠導入剤は処方して貰えず。


こうして入院生活のスタートを切りました。


入院生活中処方して貰っている薬

ノックビン(坑酒剤)

レグテクト(飲酒欲求を抑える)

リスペリドン内用液(安定剤)

クエチアビン(眠前用安定剤)


※しばらくの間、日記本文と現在の状況とは

時系列的にバラバラです。


入院しました 1

精神病院のアルコール専門課に初通院。

その2日後アルコール依存症の回復の為、

90日間の入院生活に入りました。


前回の日記にも記した様に、

この病院のアルコール病棟では、

入院して1週間は閉鎖エリアで過ごす事に。


その間は煙草勿論のことスマホ・携帯は

ナースステーションに預け、

当然のごとく24時間禁煙生活、

外部との連絡は懐かしの公衆電話。


起床・消灯は一般開放エリアと同じく、

6:00起床の22:00消灯ですが、

エリア以外に出るのは3食時と風呂の時。

かなり窮屈な生活ですし驚いた事に、

テレビはディルームのみ!

各自のベッド周りには有料テレビも無し!

そういえばラジオは持ち込み可能ですが、

電波がわるく受診出来るのはNHKだけ。


断酒生活はこの時点で19日目。

離脱症状は乗り越えていましたが、

これからはニコチンの離脱症状との闘いが。


さてさてどうなる入院生活。

90日は長いぞ、ハッキリ言って。


(つづく)


入院生活中処方して貰っている薬

ノックビン(坑酒剤)

レグテクト(飲酒欲求を抑える)

リスペリドン内用液(安定剤)

クエチアビン(眠前剤)


※しばらくの間、日記本文と現在の状況とは

時系列的にバラバラです。


初通院そして急遽入院と

前回の初診時に勧められていた入院。

仕事の問題や家庭の事情、煙草の事など、

先ずは様子見しようと思いながら、

アルコール依存症患者の平均寿命、

脳の萎縮による障害、抗酒剤との付き合い。

これらの事を良く考えて見て、

いよいよ初診から10日後初の通院。


前回と同じく女医さんと向き合い、

採血、頭部CTスキャンの検査結果を聞き、

オレの口から出た言葉は、

「先生、入院させて下さい。」


仕事、家庭については問題が解決し、

煙草は本当に迷いながらも禁煙。

とにかくアルコール依存症

この病気を何とかしなければ、

という事で入院を決意して来たのでした。


こちらの病院のアルコール専門課は、

入院して1週間は閉鎖エリアで過ごす事に。

その間は煙草は勿論の事、スマホ・携帯を

ナースステーションに預け、外部との連絡は

懐かしの公衆電話。

起床・消灯は一般開放エリアと同じく、

6:00起床の22:00消灯ですが、

エリア以外に出るのは3食時と風呂の時。

かなり窮屈です。

そして1週間の禁煙生活。

生まれて初めての禁煙生活。


酒の離脱症状は乗り越えていましたが、

(この日で断酒15日目)

これから未知の煙草の離脱症状が。

と思うと少々、いや、かなり憂鬱です。


しかし持ち前の能天気さ。

「酒と一緒に煙草も止めれて一石二鳥」

と思い乗り越える事に。


さてさて、どうなる?入院生活。

風雨急を告げ、4日後から開始。


今回処方して貰った薬

ノックビン(坑酒剤)

レグテクト(飲酒欲求を抑える)

リスペリドン内用液(安定剤)

クエチアビン(眠前剤)


※しばらくの間、日記本文と現在の状況とは

時系列的にバラバラです。


晴天の霹靂 いや、ヤッパリか 4

自分はアルコール依存症だと認め、

善後策をとる事にしたのですが、

かなり恐いです。

この病気。


まずアルコール依存症患者の平均寿命。

酒と言えば肝臓を思い浮かべるが、

肝臓意外の他の臓器への悪影響や、

事故死、自殺等のリスクが高くなる。

平均寿命は何と52、3歳。


また脳がアルコールで萎縮してしまい、

実年齢より10歳〜20歳も脳年齢が老化。

認知症や痴呆症が現れる。


そして進行性があり完治しない。


一生治る事は無く、進行を防ぐには、

ひたすら断酒あるのみ。


ひとまず採血、頭部CTスキャン

胸のレントゲン、薬を処方して貰い

今日のところは引き上げ。


女医さんは入院を勧めておられたが、

仕事の問題や家庭の事情、煙草の事など

色々考えると先ずは通院で様子見。

次回は10日後に外来受診。


今回処方して貰った薬

ノックビン(坑酒剤)

レグテクト(飲酒欲求を抑える)

リスペリドン内用液(安定剤)

クエチアビン(眠前剤)


他病院で処方され服用中の安定剤と眠剤

セルシンアモバンは、徐々に減らし

早目に中止する様に指示あり。



断酒33日目。

節煙8日目。


※しばらくの間、日記本文と現在の状況とは

時系列的にバラバラです。


晴天の霹靂 いや、ヤッパリか 3

新年早々受診した精神科で、

臨床心理士のお姉さんとの闘いを終え、

いよいよ医師の診断。

今度は軽くいなし、とっとと帰ろう。

そして。


診察室に入ると女医さんから、

先ほど臨床心理士のお姉さんから

受けた質問と同じ様な事を問診。

手元には臨床心理士のお姉さんが入力した、

オレの酒にまつわる話を印刷した資料が。

さらに突き詰めて質問されるや、

さっき迄の軽くいなして帰る魂胆が

あたかも砂の様に崩れていき、

スッカリ女医さんのペースに。

臨床心理士のお姉さんより、

ハッキリ言って数10倍手強いです。


質問攻撃も週なを迎え、

「昼からお酒を飲んだ事は?」

「お酒を飲んで車を運転した事は?」

「お酒を飲んで家族に迷惑をかけた事は?」

「二日酔いの時、迎え酒をした事は?」

等々ボディブローの様な攻撃が。


全ての質問が終わった後、

幼稚園の子が見ても解る様な

まるで絵本の様なテキストを広げ、

オレの回答結果と赤く彩られた

アルコール依存症』の合致した様を示し、

「全ての項目が該当してますね」

「診断結果、アルコール依存症ですね」

と審判が下されたのでした。


「ガーン!そんなアホな!?」

「いきなり何を仰るのか、この先生は」

と事実を認めたくない気持ちと裏腹に、

「ヤッパリなぁ。

兄弟の言うてた事当たってたんや」

「もうアル中やと認めて楽になれ!」

と言う気持ちがグングン大きく。


こうして自分でアルコール依存症だと認め、

半分ヤケッパチながら善後策をとる事に。


(つづく)


晴天の霹靂 いや、ヤッパリか 2

連続飲酒が始まり、なぜか酔った頭で

病院の相談窓口に電話をかけていたのを

離脱症状と闘いながらも思い出し、

精神科を受診したのが新年早々の事でした。


酔った頭で電話予約しておいた時間に

病院を訪れるとまずは問診票に記載。

『初めて酒を飲んだのはいつか?』

『いつ頃から毎日酒を飲み始めたか?』

『最後に酒を飲んだのはいつか?』

等々過去から現在への酒との関わり方、

その後ここ1年間の酒との関わり方、

正直に記載し窓口提出、待合室へ。


しばらくするとカウンセリングルームへ。

そこで可愛い臨床心理士のお姉さんから、

「問診票をもとにした質問へ答えて下さい」

「差し障りがあれば答えなくていいですよ」

と説明が。

そこは男だ!正直に答えましょう。

と、お姉さんの質問に続々答えるオレ。

今思えば程のいい誘導尋問だったような。

どんどんパソコンに質問への答えを

入力していくお姉さん。

どんどん馬鹿正直に答えるオレ。

闘いは小一時間続き、久々に心地良い汗が。


その後再びの待合室。

後は医師の診断を残すのみ。

さっきの闘いで相手の術は解ったので、

「今度はノラクラ答えてとっとと帰ろう」

「1か月ほど酒抜いたら身体も落ち着くし」

「かかり付けの内科で点滴打って貰おう」

「肝機能が落ち着くまで」

「オレはこういう病院とは縁が無いよ」

「兄弟はアル中みたく言いよったけどね」

と軽く考えていたのであったが。


(つづく)